シナリオにおけるキャラクターの見せ場。



昨日、コンベンションシナリオの書き方という記事を書きましたが、
そうしたら木菟さまの古木の虚で、トラックバックをいただきまして、
その記事に私も思うところがありましたので、
書いて見ることにしました。
コメント欄に書ききれるとは到底思えなかったので…。


内容はですね、
キャラクターの見せ場はGMのためか、PLのためかという話です。


これ、ある意味では簡単だけど、実は凄く難しい話だと思います。


GMとPL、両方のための見せ場というのは、
実はGMとPLのシンクロ率が高ければ余り深く考えなくても大丈夫なことで、
今、私のやっているエンゼルギアは、まさにそれです。
GMのやって欲しいことが、PLのやりたいことと被っているのです。
この場合が両方のための見せ場が出来た瞬間だと思います。


でも、これはキャンペーンだから起きた事、と言うわけでもないのですよ。
モノプレイでも、少なくとも私は良く起こります。
逆に、両方のための見せ場にならない、GMとPLの思惑が異なるときが、
キャンペーンで起きないかと言えば、そんなことも無い。


私が思うに、これって要は、
お互いの主張ができて、お互い読み取れているか
って事だと思うのです。


シーン制システムなら、GMがやりたいことは、ハンドアウトや今回予告で
かなり主張されています。
これはFEARのスタンダードはGMに合わせてあげるって事だと示しています。
提示された可能性の中から、PLがやりたい(PLのための)立ち位置を選ぶ。
用意された見せ場を面白いと思えるなら、この手のゲームは合っていると思います。
…最近、ハンドアウトにあぐらをかいて、
思わず首をかしげちゃうようなシナリオもまあ、ありますが。
ともあれ、シーン制は、PLの主張をはっきりとしないと、
GMのやりたいことに流されてしまうこともあると思います。
事前にしっかり伝えておくことが重要だと思います。


逆にパーティ制では、事前にGMのやりたいことを提示されることは、
シーン制に比べて少なく、
代わりにPLが、GMの用意していなかった新たな道に行く可能性を
多く持っています。
これは、PLのための見せ場が増えると言うことだと思います。
つまり、GMはPLのやりたいことを汲み取りつつ、
見せ場を用意することが理想になるのではないかと考えられます。
こちらはGMの負担が大きいですね。
特にモノプレイの場合、
実際にシナリオが始まらないと、PLの希望が見えなかったりしますから。
だからと言って、PLが何やっても良いって訳じゃありませんが…。


…話が少し反れてしまいましたが、
結局重要なのはGMはPLの主張を、PLはGMの主張を読み取って、
お互いに可能な限り尊重することが、
両方のための見せ場を作ることに繋がるのではないかって、
私は思います。


正直、これを書きながら、
これは考えて出来ることなのか非常に疑問に思ったりもしましたが、
きっと、考えて出来るようになって一人前。


相変わらず理想論ぶちまけてますが、
これは、みんなで楽しいTRPGをやるために私も完璧にしておきたい技能です。
頑張りたいですね。